島袋洋奨「2年の春までは、確かに調子は良かったんです」
島袋洋奨「2年の春までは、確かに調子は良かったんです」
転載元: https://nova.5ch.net/test/read.cgi/livegalileo/1736517410/
島袋は当時の記憶を掘り起こし、そう呟いた。この大学2年の春季リ―グが、島袋の野球人生のターニングポイントと見る向きも多い。
大学1年の秋季リーグ終了後、中央大野球部は高橋善正(元巨人)が監督を退き、秋田秀幸(元中日)が新監督に就任した。
2012年、秋田監督の初陣となる春のリーグ戦で島袋は2年連続開幕投手に選ばれ、強烈なインパクトを残す。東洋大を相手に延長15回をひとりで投げ抜き、チームを3対2のサヨナラ勝ちに導いた。だが、要した球数は226球、奪三振数は21。言うまでもなく、ひとりの投手が1試合で投げる球数ではない。
「センバツ決勝の日大三高戦で198球を投げたことはありますけど、200球超えは初めてでしたね。あくまでも自分の意思で投げました。次の試合も、その次の日大戦も重要でしたし、調子が良かったので投げました。でも、ここで肘がぶっ飛びました」
中1日で先発し、7回92球1失点で勝利。さらに中6日で日大戦にも先発し、8回122球、4失点で3連勝。だが、ここで島袋の肘は悲鳴をあげた。
左肘内側側副靭帯に血腫ができており、すぐにドクターストップがかかった。全治約5カ月。その間はノースロー調整を強いられ、ブルペンに入ったのは怪我から4カ月後の8月下旬である。
島袋は開幕から10日間の3試合で30イニング、計440球を投げたことになる。これは現代野球ではありえない数字だ。当然ながら、「秋田監督の酷使によって島袋は壊れた」と考える野球ファンは多い。
「監督になって初めての試合ですから、よく覚えています。4月1日で寒い日でした。途中、ピッチャーライナーが島袋の脚に当たったのでマウンドに向かったんです。交代させようと思ったんですが、島袋は『大丈夫です』と言う。実際、いいピッチャーがいたら代えてますよ。でも、目が死んでいなかったのでそのまま続投させました。4年の鍵谷(陽平、元巨人)もいましたけど、やっぱり大黒柱は島袋なんです。監督をやって最初の試合が延長15回の試合でしょ。野球で勝つのってこんなに苦しいことなのか、とあらためて思いました。その後の登板も『絶対に行け』とは言わなかったし、『どうだ? 大丈夫か?』と聞きましたが……」
プロならばいざ知らず、高校野球や大学野球で「大丈夫か?」と監督に聞かれて「無理です」と答える選手はほとんどいないだろう。だからこそ、決定権を持つ指導者には、選手のコンディションを管理し、適切な判断を下す責務がある。どんな理由があったとしても、やはりこの起用法を肯定するのは難しい。