坂本勇人 ドラフト指名に「巨人かよ!」と仰天「イヤでした」「二岡いるよ」 一番行きたかった球団は「阪神」とぶっちゃけ
坂本勇人 ドラフト指名に「巨人かよ!」と仰天「イヤでした」「二岡いるよ」 一番行きたかった球団は「阪神」とぶっちゃけ
転載元: https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1703076329/
巨人の坂本勇人内野手(35)が20日に配信された高木豊氏(65)のYouTubeチャンネルにゲスト出演。幼少期からドラフトまでについて語った。
小学生時代に楽天・田中将大投手(35)とバッテリーを組んでいた(坂本が投手、田中が捕手)ことはあまりに有名なエピソードだが、中学では別のチームに。高校は地元の兵庫県から青森県の光星学院(現・八戸学院光星)に進み、2006年の高校生ドラフト1巡目指名で巨人に入団した。
今では球史に残る名選手、歴代最高の遊撃手として名高い坂本。だが、意外にも高校進学時には獲得に動いてくれる高校はゼロだったという。
小学5年生から毎日5~6キロのランニングを欠かさず。走ることが「カッコいい」と思っていたというが、それが基礎体力作りに結びついた。子供のころに憧れていた選手は松井稼頭央(現西武監督)で、理由は「明らかに華がある」「カッコいい」「見た目が好き」というもの。プロ野球選手になれるとは思っていなかった高校進学時には近場の高校からの誘いがゼロで「ユニホームがカッコいい」という理由で尽誠学園(香川)への進学を希望していたとも明かした。
だが、尽誠学園の練習にも参加してみたものの「獲ってくれなかったですね」と苦笑いの坂本。進学先がなく「どうしよう」と困っている時に近所の人が紹介してくれたのが当時光星学院を率いていた金沢成奉監督(57)で、甲子園敗戦後、飛行機に乗る前に空港近くの練習場に足を運んでくれ、ティー打撃とノックだけ見て「絶対プロになれるからうち来い」と即決してくれ、今につながった。
「僕、最初“何言ってんだ、このおっさん”と思った。プロなんて行けるわけないやろ」とヤンチャな坂本少年。だが、憧れだった甲子園出場も果たし、プロ入りへ道が開いた。
下位指名だったら社会人のホンダ鈴鹿に行くことを決めていたが、まさかの巨人1位指名。「外れですけど1位だったんで」とプロ入りを決めたものの、指名を受けた時の胸中について聞かれると「巨人かよ!」「イヤでした」「二岡いるよ」とぶっちゃけまくり。
「二岡さんいて。巨人…うわっ!試合出れんやん」と思ったといい、高校時代を青森県で過ごしたこともあり「めっちゃ関西帰りたくて」と一番行きたかった球団については「阪神」と懐かしそうに答えていた。
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2023/12/20/kiji/20231220s00001173475000c.html