2軍拒否して巨人をクビになったオドーアさん、優勝を味わえなかった上にどこからも獲得されない
2軍拒否して巨人をクビになったオドーアさん、優勝を味わえなかった上にどこからも獲得されない
転載元: https://nova.5ch.net/test/read.cgi/livegalileo/1727754573/
Orixbaseballclub – 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=146986428による
1: それでも動く名無し 2024/10/01(火) 12:49:33.68 ID:fEi0rjHar
巨人時代
2024年1月22日に読売ジャイアンツと契約したことが発表された[31][32]。単年契約で推定年俸は2億円[33]。背番号は23[32]。外野手での登録となり、右翼手としての起用が見込まれていた[34]。
2月に来日し、練習試合やオープン戦にも出場していたが、オープン戦の成績は12試合の出場で打率.176(34打数6安打)、0本塁打、0打点に終わり[35]、さらに牽制死が2度あった[36]。
3月下旬に開幕一軍メンバーから漏れ、ファーム調整を告げられたが、オドーアはこれを拒否し、退団・帰国を希望。球団もこれを認めたことで、開幕3日前の3月26日に退団が発表された[37][38][39]。4月4日に自由契約公示された[40][注 3]。
2024年1月22日に読売ジャイアンツと契約したことが発表された[31][32]。単年契約で推定年俸は2億円[33]。背番号は23[32]。外野手での登録となり、右翼手としての起用が見込まれていた[34]。
2月に来日し、練習試合やオープン戦にも出場していたが、オープン戦の成績は12試合の出場で打率.176(34打数6安打)、0本塁打、0打点に終わり[35]、さらに牽制死が2度あった[36]。
3月下旬に開幕一軍メンバーから漏れ、ファーム調整を告げられたが、オドーアはこれを拒否し、退団・帰国を希望。球団もこれを認めたことで、開幕3日前の3月26日に退団が発表された[37][38][39]。4月4日に自由契約公示された[40][注 3]。
第2期ヤンキース時代
4月10日、かつて所属したニューヨーク・ヤンキースとのマイナー契約に合意した。ルーキーリーグに配属された[44]が、一度も試合に出場せずに8月1日に解雇となった[45]。
※
2: それでも動く名無し 2024/10/01(火) 12:50:45.52 ID:btI4Uqrj0
自業自得やん