【悲報】慰安婦(生前)「日本の永住権が貰え生涯を沖縄で過ごせた」抗議もなく静かに永眠→市民団体が名簿を掘り起こして抗議「こんなひどい人生!無念を晴らすわ!賠償!」

【悲報】慰安婦(生前)「日本の永住権が貰え生涯を沖縄で過ごせた」抗議もなく静かに永眠→市民団体が名簿を掘り起こして抗議「こんなひどい人生!無念を晴らすわ!賠償!」

1: 名無し 2025/04/24(木) 12:42:44.04 ID:rl62ICRu
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「日本軍性奴隷制の否定が許されてはならない」

4・23アクションは、朝鮮半島出身の女性たちのうち、自身が日本軍「慰安婦」被害者だった事実を初めて明らかにした裴奉奇(ペ・ポンギ)さん(1914~1991)を記憶するために、2015年に結成された組織だ。裴奉奇さんは数奇な生涯を送り、1991年10月18日に沖縄県那覇市の前島で亡くなった。裴奉奇さんは1914年9月、忠清南道礼山郡新礼院里 (イェサングン・シンレウォンリ)で生まれ、日帝強占期の1943年、「お金をたくさん儲けることができる」という話にだまされ、沖縄に来た。

その後、1944年11月から1945年3月末まで、
渡嘉敷島で慰安婦生活を強制された。1945年の日本敗戦後、思い出したくない過去を抱いたまま、沖縄に根を下ろした。

「戦場でのこと」のために、故郷へ帰ることは考えられなかった。


しかし、1972年、米軍政から脱した沖縄が日本に復帰すると、予想外の追放の危機に直面することになった。
裴奉奇さんは、自身が日本軍「慰安婦」だったという事実を明らかにすることで、特別永住資格を得ることができた。

この過程で、1975年に現地メディアで、1977年4月23日には朝鮮総連の機関紙である朝鮮新報で、裴奉奇さんの話が紹介された。

裴奉奇さんが亡くなった1991年は、韓国で故・金学順(キム・ハクスン)さんの被害証言によって本格的な活動が始まった年だ。しかし、裴奉奇さんは寂しく記憶の中から忘れられていった。2015年に始まった「4・23アクション」は、裴奉奇さんの話が知られることになった4月23日に合わせて、毎年慰安婦被害者を追悼し、日本政府の態度の変化を求める行事を開催している。この日の参加者たちは、他の慰安婦被害者である「キム・ボクトンさん」「クァク・クムニョさん」「カン・ドッキョンさん」「キル・ウォノクさん」などの名前を呼びあげ、彼女たちの苦しみの体験を朗読する行事を行った。
東京/文・写真 ホン・ソクジェ特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
登録:2025-04-24 07:52 修正:2025-04-24 08:14
https://japan.hani.co.kr/arti/international/53028.html

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